夢の海に潜れよ

奇想メモ

勝手に愛情深い

ここ2回の記事で、いろいろとたいへんだった件を書いたが、その後、どういうわけか、ずっと弁天さんのご真言を唱え続けている。

 

今朝の瞑想の終わり頃、ふと、「どこまでも優しくあっていい。傷つけられることはない」というフィーリングを受け取る。

 

私はこの頃、少しずつ、13の神秘体験の後、5年ほど味わったなんとも言えないアホで優しい境地を取り戻しつつあることを実感していて、そのようなところで響いてきた言葉。

 

 もっと愛情深くていいのですよ、傷つけられることはないのだから。

 

傷つくことが怖くて、私は、本来、表現できるはずの「愛」を、押しとどめていたことに気づく。

 

少し前、知人から、冷たく感じる態度を取られて、今までなら、そのことから相手のことを嫌いになったり、斜に構えたりしていたものだけれど、考えてみれば、私は、もともとその人のことを悪い人だと思ったことはなくて、ただ「合わない人」と相手から思われているだけのことだった。

 

なんと「私は、嫌っていない!」

そう、私は嫌っていなかったの。笑

私が嫌わなかったら、何の問題もないではないか!

実は、相手が私を嫌うことは、私が相手を嫌うことと、何の関わりもない。

 

まあ、ただ、相手は、私に対して、よく思っていないのは伝わっているわけだから、そこはそっとしておこう…とは思う。こういうことこそ、単に、思いやりだと感じる。

私は、何も、傷つかないではないか。

嫌っているのは、相手さんなんだから、それは、ある意味、ざんねんなことではあるけれど、どうしようもないこと。

そこは、合わなくてごめんね〜、と軽く言える。笑
どっちが良いとか悪いって話じゃなくて、合う合わないという、あるある次元なんだから。

私が嫌っていないのだから、何の問題もないんですよね。いや、ほんま。

 

うんうん。私は、これでいいのです。

 

アホで、勝手に愛情深くて。

私が、そうしたいからそうしてる。
それだけ。

 

私は、はっとした。これは「#0 たろう」のメッセージに同じ。

「#0 たろう」は西洋タロットの「愚者」
愚者は愚か者と書くけれど、京都タロットのたろうも、まさに、こういう在り方の原点を見せてくれている。

 

無垢で愚直で……要するに、「良い意味で」アホ。

 

弁天さんのご真言唱えている時って、たぶん「あなたにお任せしました」と言っているようなものやと思うんよ。

そして、弁天さんからの答えは、ただ「わかりました」ってこと。

弁天さんからすれば、その後に、こちらがあれこれ悩んでたとしたら「なんで、悩んでんねん?任せたんやろ?」って言いたいんちゃうやろか。

 任せたんでしょう?
 傷つくことはないのだから、そのまま愛情深くいてください。

 

いや〜、世界をどこまでも愛してええねんで。
すごい、解放されへん?笑

 

弁天さんは、京都タロットで言えば、「#1 いちひめ」に相当すると思うので、
こうして、先の「#0 たろう」さんと合わせて「0+1」。ここから物語が始まるのだと思える。
どうなるか見当もつかない、無限の物語
これは、たろうさんが「良い意味でアホ」であるからとも言える。

 

「勝手に愛情深い」私たちの本質は、傷つくことを恐れなければ(=傷つくことはないから)、好きなだけ、世界を愛することができる。

 

…ということは、逆に、だれかを、嫌っても、苦手でもいいってこと。
その時は、思いっきり嫌ったらいいって思えた。

人が、自分を嫌ってもいいというのは、
自分の同じ面も、まったくもって許せるのだ。

 

 

なぜ男性の方が力が強いのか?

先の、「霊が通り過ぎる」現象。

喉元過ぎれば…で、一皮剥けた感のあるこの頃。

あれは、やはり、ウミ出し、だったのか?

ウミ出しは、産み出し。

 

   †

 

 

遡ること数週間前、個人的に、重要な気づきがあった。

私にとって、活動の土台の中に染み込んでいるほどの重要なことで、これをシェアしようと思うが、いつものように、ためらいを感じる部分もある。

 

(ちなみに、私は、重要なことを話す際、躊躇することが多い。

 理由としてふたつ。

 

 一つは、重要なこと故、「わかってもらいたい」と力むから。笑

 もう一つは、現代の社会では、タブーに触れることでもあるから。

 いや、タブーというより、誤解されやすいこと だから。)

 

 

私は、以前から、男女の性差について、めちゃめちゃ疑問に思っていることがあった。

それは、あまりに当たり前すぎて、すっかり受け入れていること。

 

たとえば、

「宇宙の終わりはどこ?時間のはじめはいつ?」の本質的な設問ように。

 

上記は、考えれば考えるほどわからなくなる、人類の命題「其の1」だと思うが、「其の2」に値すべきことが、男女の性差問題であった。

(ちなみに「其の1」については、個人的には決着を着けているが、この話はまた)

 

「なぜ、男性の方が、圧倒的に力が強いのだろう?」

 

これは、ほぼ異論は出ないだろうと思われる根源的な疑問。

どうしたって女は、男性には、肉体的な力ではかなわないのだ。

 

また、

学力などの能力も、男性の方が優れている面も大きい。
(こちらは、異論のある人も多いと思われる。(^_^;))

 

いや、私も、個人的には、女性も学力等、
「優秀な人もたくさんいる」とは、もちろん思っているが、

ポテンシャルでいうなら、男性の方が突出していると感じる。

 

さらに、

私は、男性の方が、「根が優しい」と感じる

 

女性も、もちろん、根は優しい。( ̄▽ ̄)

 

だから、男性の方が優しいなどというのは、語弊がありますね。

 

優しさの種類が違う というふうに言い直そう。笑

 

(こう書いてしまうと、異論を超えて、怒りを感じる女性もいると思うけれど、
最後まで読んでいただくと、納得してもらえると思う。

いや、納得どころか、本質を発見して、歓びを味わう女性も出てくるかも?)

 

 

閑話休題。

 
優しさの種類というのは、男性の方が、

「世のため、人のため」意識が強い ように思える。

 

その根っこにあるものが、

 

お母ちゃんの笑顔が見たいために、勉強をがんばったり、
駆けっこで一等賞を取ろうとする少年を胸の中に宿しているから、

と、言えるのではないか。

 

女の子も、お母ちゃんの笑顔が見たくて頑張る面もあるが、
男の子の方が、その気持ちが、わかりやすく出てるんじゃないだろうか。

 

つまり、

男性は、他者の評価(人のため)が、行動の動機になりやすいんじゃなかろうか?

 

女性も、まあ、その面はあるけれど、

女性の場合、他者の評価が、直接的な動機には、少しなりにくい。

 

こうすれば「人の役に立てる」とか「評価が高くなる」と告げられて、

ありがたいことだと感じたとしても、動機としては弱く、

そのことに、男性ほど一途に向かえない面が、なぜか、ある気がする。

 

ならば、女性の行動規範とはなにか?

 

を、ここでは考察したいとおもう。

 

女性特有のこと……それは子供を宿す肉体、つまり子宮を持っていること。

 

子宮を持つことで、年頃になれば、少女は生理を迎え、

それによって、気分や感情が左右される。

 

なぜか…?

 

女性は、自らの肉体と感情に正直にならなければ、
妊娠、そして出産時のトラブルなど、リスクが高いから。

 

妊娠をする時と、妊娠を避ける時──、

女性は、「自分」を、「知る」必要がある。

 

妊娠と出産は、古代には、今よりもっと危険を伴うものであったろうし、

女性は、それだけに、肉体──子宮と感情、思考を調和させている必要があった

 

他者の評価、人のため……なんて言ってられないのだ。

他者からの評価などは、自分の感覚的な研磨の大切さには及びもつかない。

 

この観点で見れば、自然にわかってくること。

 

男性が、圧倒的に「体力と、知的に処理する能力」に長けているように、

女性は、圧倒的に「直感力」に長けるのだ。

本来、そんなふうに、自然は手配した ということが感じられてくる。

 

女は、まずは、自らの感覚を研ぎ澄ますこと。

 

そして、この感覚は、自然現象とも、本来的には、共振共鳴している。

 

女性の肉体は、自然の受信機としての子宮を持つと考えると、

ほんとうは、宇宙とのフラクタルな関係にあるだろうと思える。

 

自然の現し身。映し身。

 

つまり地上の調和と、そもそも共鳴しているので、

女性は、自分の感覚こそマスターをして、宇宙を表現することこそ、

地上の在り方として、本当の正解なのだと、思えるのだ。

(だから、京都タロットは、ええツールなんじゃよ〜…( ̄▽ ̄)v)

 

 

明治、そして大正期に、‘らいてふ’ さんが、拳を上げて叫んだ言葉

「元始、女性は太陽であった」 を、

この令和では、拳を下ろして、淡々と話したい、と私は思う。

 
卑弥呼が執政していた時代、男女の性差は、現在とは、全く違った活かし方がされていたように思う。

 

自然との調和を重んじるなら、
地上の調和を受信できる能力の高い女性は、まつりごとに向いていただろうし、

自然との調和を重んじるなら、体力的に強靭であり、かつ、優しい男性は、
その調和の実現に尽力する役割があったと思われる。

 

そうやって、男女のバランスは、地上で絶妙に測られることは可能で、

本来は、そこには優劣は、ありえないはず。

 

男性社会の現在は、目に見えているものがすべてだから、

目に見えて力があり、体力があり、知的な能力のポテンシャルが高い男性が、

社会を仕切るべしになってしまうし、

力の面で劣っている女性は、その隷属的立場にならざるを得ない状況ができてしまう。

 

しかし、もし、女性の直感こそがすべてという

女性優位の社会があったとするなら、

直感を受信できる女こそ王者で、その能力では下回ってしまう男性は、

隷属的な立場になってしまうことはありえるだろうとも思える。

 

力が強く、お母ちゃん&嫁さん&女性 を喜ばせたいという、

自分が受信した直感よりむしろ、他者からの評価を重要視する、

男性の優しい性質をも、調和の上では活かせるかもしれない。

 

男性は、内に少年を宿し、女性は、内に宇宙を抱える。

 

幼い少年は、母から天のエネルギーを得ようと、かーちゃんに甘える=天得る(あま・える)と聞いたことがある。

 

母親に大いなる宇宙を見るとは、実は男性は、よりロマンチストということにもなるだろうし、男性の優しさの根っこが見える気がする。

 

一方、「そもそも」自分の中に宇宙を包括する女は、深いところで、男性を必要としない面があるのではないだろうか。

 

肉体的には、男性よりずっと弱いはずの女が、かくも強く、図太いのかと言えば、「そもそも」の理由が、お腹の「宮」にあるのではないだろうか。

 

はるかはるか遠い昔、女が「みことのり」を受信し、主導して「まつりごと」を行い、

男は、ひたすら支えている奴隷時代があったのかもしれない…などと妄想するのは、

思いあがりかもしれないけれど、ちょっと面白い。(^ ^)

 

しかし、そんな男女逆転社会であっても、互いに敬意がないと、パートナーシップは成立し得ないし、豊かな社会にはならないだろう。

 

さて、改めて、だけど、

これは、もちろん、個人差があることで、一概に言い切れない。

だから、ここは「傾向として、ある」というふうに、読んでいただきたく思う。

 

男性でも、女性以上に直感が鋭い人はいるし、
女性でも、他者評価が大きな原動力の人もいるだろうし、東大王もいる。笑

 

いずれにせよ、どちらかの性に偏重することなく、
互いに活かし合える関係は、模索していかなければと思う。

(ただし、あまりにも男性性偏重の時代が長かったので、その揺り戻し的に、
 今後、女性性が強くアピールされることになるだろうことは想像できるし、
 それは、バランスの意味でも、必要な過程であると思う)

 

そんなわけで、最初の話、

このような気づきが起こったことで、

私は、パートナーである夫に対して、強い憤りを感じるようになってしまい、

もっと、自分たち女性は、男性にかしづかれるべきではないか?

…のようなキテレツな気持ちが出てきて(笑)

そこに、かつての「女」が取り憑くような隙ができたのだと思う。

 

女性性の大反乱。

 

今後、多くの女性に起こりうる気持ちの移ろいであると、予言しておこう。( ̄▽ ̄)

でも、大丈夫。

 

これは、あくまでも、過程。

女性はもちろん、男性にとっても、もっと豊かに、もっと幸せになれる前兆でもあるという確信がある。

 

まずは、女自身が、自らの中のウミ出しをしとかないと、
次なる調和や進化はないのだから。

霊も自然治癒、そして再生

 

もはや、どこから、どう書いていいかわからん。(^_^;)

 

B面ブログに書くつもりだったが、一応、あちらは準オフィシャルなので、いったんはこっちに書くことにした。

 

家の書斎を奇想庵として本格的に稼働させようと思って、今まで放置していた書類関係を、ジャンル別に整頓していた。

30年近く前のものもあって、懐かしく眺めつつも、10年に一度も見ることもないだろうと思われるものは、思い切って捨てることにした。

 

ファイリングしていたとは言え、黄ばんだ書類は埃っぽかった。

ひょっとすると、マスクをしていれば、何か変わったのかもしれない?

 

埃を吸って、咳込む。

作業を続けるうち、喉のイガイガっぽい感じが止まらなくなり、咳が出続けた。

しばらくして、わたしは、なんとなく不機嫌になっていることに気づく。

 

 ???

 

何かを吸った!と思った。

 

案の定というか、それから数日の間、夫に対して、抑えていた怒りが噴出してきていた。

沸騰というか、噴火というべきか。(笑)

 

何かを吸った…という自覚もあるし、そもそも思考や感情というのは「自分のもの」ではないこともわかっているので、そこそこの客観視も自然にできていたはずだったが、今回のは、やたらキツく感じて、気がつけば、「怒り」と「自分」を同一化してしまっている。

 

毎晩のように、夫に文句をいっていた気がする一週間。( ̄▽ ̄)

 

だいたい議題はいっしょ。

「愛されている気がしない。もっと露骨に愛を表現してくれ」という私(←タチ悪い)に、

「こんなにやっているのに、どうして気づけない?これ以上、求めてくれるな」という夫。

 

顕著にわかったのが、朝、夫の出勤時、「いってらっしゃい」という私に目を合わせなかっただけで、イライラする自分を感じたこと。

心の奥で「愛してくれ、愛してくれ」と、激しく叫んでいる感情を感じながら、「女だ」と思った。

 

あの埃の中に、昔、成就されなかった「女」がいた。

報われなくて泣いている「女」がいた。

 

でも、それはそれだけのせいではない。

よくラジオの周波数にたとえられるように、こちら側に、同じ波長が出ていなければ、受信することは絶対ないのだから。

それが微弱なものであったとしても、私の中に、同様の感情がくすぶっていたからこそ、異様な怒りと渇望に襲われていたのだね。

 

 

私は、(多層な意味で)私でもある、この「女」を癒したいと思った。

ただ、一人では難しい気がして、占星術師の友人の、お抱えの霊媒師の方を紹介してもらうことにした。

 

「霊媒師」という方と接するのははじめてだったので、お話しするまでは、個人的イメージで「怖い、厳しい人だったらどうしよう?」と思っていたのだったが、果たして、M先生(霊媒師さん)の大らかで優しいお人柄は、一声聞くだけですぐに感じることができて、安心してすべてをお話しできた。

 

結論からお話しすると、私は、いたく感動してしまった。

「何にもないわけではないが、何にもない人などいないし、だれだって『霊が通り過ぎる』ことはあるよ」とM先生。

私は、この一言で、大事なことに気付かされ、心から安心した。

 

お分かりだろうか?

 

つまり、風邪を引くのと同じようなものなのだと思った。

生きていれば、だれでも風邪を「もらう」ことはあるように、生きていれば、だれでも霊を「もらう」こともある。風邪が自然治癒するように、この程度のものは、自然治癒できるということ。ぜんぜん「たいそうなこと」ではないのだ。

 

風邪と同じように浄化作用なんだから、そこに抗わずとも、見て味わって、浄化させてもらったら、全然違った在り方の「私」が現れる。

もっと大きな視野で言えば、むしろ、そのために、新たな自分の発見のために、その現象は現れる。

 

単に、前向きに定義し直すことができることを発見。私が「決定する」ことができる。私が決めたようになっていくこと、、本質的に自分が創造主であったと再発見するに至った。

 

おそらく、その「女」と共に、何らかのウミを出したのではないだろうか。

奥に、何かを持ったままで、その次には進めないので、そのウミとなっているものが「女」を引き寄せたと考えられないだろうか?

むろん、その次に進む必要などないわけだが、私は、心の奥で「進みたい、進化したい」と思っているので、その「私」が引き起こしたことなのだと定義できるのではないだろうか。

 

次に進みたい、腹のウミを出したいという私の「本音」が導いた、一種の荒療治。笑

 

まあ、それはそれとして、翡翠のペンダントは、一種の魔除けになるということを教えていただいた。(あ、もちろん、それを販売されているとかいうシステムではないよ…笑。単に情報)


あと「玄関の樹が守ろうとしてくれているので、大事にしてあげてね」と。

 

いや、めっちゃ難易度の低い対処法やん。笑

 

私は個人的には、依存心を起こさせるものは、時代に逆行していると考えていて、霊媒師さんという在り方自体が、そういうものだとちょっと斜に見ているところがあったけれど、いや、人によるもんですね。

しっかりとした軸のブレない人というのは、霊媒師さんであってもなくても、そんなところを刺激しないし、むしろ、必要なら突き放してくれるという大きさがある。

まあ、もちろん、中には「日常生活ができないくらいの人はいる」らしいけれど。

 

そんなわけで、「女」からもゆるっと脱却。

次々に、新しい祈りと、新しい在り方が生まれる。

夫には申し訳ないけど、こんな変人をパートナーに選んでしまった責任として、これからも付き合っていただこうと思う。

ええことばかりではなく、こういうことも含めて、パートナーシップといえるのだろうから。

 

新しいパートナーシップ、男女性差

部屋の書類整頓は、ほぼ終わった。

とてもやりやすくなったはず……だが、その途中で、古い書類のほこりを吸って、咳が止まらなくなった。

 

でも、この咳は単なる「咳」ではない。

古い秩序を脱却するにあたっての作用。

えらい前向きな言い方をしたけれど、ほんとうは、めっちゃキツい。

 

怒り狂って、さらに哀しんでいる「女」が、取り憑いているのが、自分でもわかる。

夫の顔色をうかがっている自分に気がつく、そして腹を立てている。

 

それは、過去生の私でもあり、同じような理不尽を味わっている女たちの気持ちと共振している。

 

私は、かつての、古い時代の、巫女であったことに気づき、

おそらくは、その女性優位時代に、なにかしらの理不尽を、男性に強いたことがあるような気がする。

 

そして、現在、本来ならスムーズであるはずの巫女のあり方に、私は歯止めをかけるように自ら仕組んでいるのだとわかる。キツイが、俯瞰で見れば、地上ゲームといえるのだろう。

 

よくよく冷静に考えると、「この程度の」価値観の違いなど、気にしない人なら気にしないだろうし、気にする必要はない。

 

私は、心の奥で、本当のところ、何を望んでいるのか、ここで洗い出してみたい。

 

私は、彼(パートナー)に、新しい(実際は復古)男女の在り方の価値を理解して欲しいと思っている。

そして、私の巫女としての本当の価値を認めて欲しいと思っている。

 

…と、書きながら、少しまとまってきた。気がついてきた。

 

私の深奥では、別の筋書きを用意しているようだ。

表層意識では、理解できない男性と、本質は巫女であるところの女という、ありふれた夫婦が、変容していくというシナリオ。

 

あたりまえだが、最初から理解を求めるのではなく、自分が、自ら、その生き方、在り方をこの人生で実践して見せて、やっと男は、本質的な性差とその活かし方に気がつくのだと思う。

 

だから、私は、もう甘ったれてはいられない。

この甘えの体質こそ、旧態の女像であって、そうしなければ愛されないと教育されてきた(してきた)古めかしい女の姿を表しているのだと思える。

 

貴郎(あなた)よ、そうしなければ愛せないのなら、わたしを愛さなくてもいい。

 

それでいい。

それでいいのではないか。

私よ、それくらいの強さを、毅然として持て。

 

愛さなくてもいい。愛されなくてもいい。

 

恐ろしい言葉だ。笑

 

でも、今の、この脱却期にある私には、ひたすらに、必要な言葉なのではないだろうか。

 

愛されなくてはいけないということこそ、呪いではないだろうか?

そうしなければ生きてはいられないと、連綿と語り継がれてしまった呪文なのではないだろうか。

 

じゃあ、私は、彼を愛していることは?

愛してしまった…それでいいではないか。ちがうかな。笑

 

私は、彼を、愛してしまった。この人生で、彼に、心を奪われてしまった、それでいいではないか。

 

私は、彼を、愛してしまった。以上、マル。

 

 

待ち合い室を作ろう

見積もり取りのために、新しい工務店さんは職人さんを連れてきた。お二人。

そのうちのお一人は、彼の奥様をむかーし、存じ上げている人だった。子供の予防接種の時に知りあったママさん。なんで覚えているかって、ボンの名前が一緒だったので。世間はせまいね。ほんまに。

めっちゃ元気で若く明るく可愛い方だったと記憶している。

 

営業さんも、職人さんたちも、印象は良く、こういうご縁があると、なにかやろなぁ~と思える。

なので、ここに決めるかなぁ~?見積もりみんとわからんけど。

 

     

 

今日は、少し、見込みと違うことが起こった。こう言う時は、昔なら、けっこう堪えたかもしれないけれど、今は真逆。

次は何がくるんやろ?とワクワク。笑

もう、ワクワクしかない。

 

人は、想い一つで、ぜんぜん変わる。

そして、想いは、実は、簡単に、捨てられる。こだわりなくやっていくことができる。

 

     

 

先日、東京でのリーディングが気持ちよくて面白すぎたので、これを京都でもやりたいと思って、事務所を改造すべく工務店さんにきてもらっている。

もはや、だれに遠慮をする必要があろうか。

私が使いたい部屋を作り、私がやりたいようにやる。なりたいようになる。それだけのこと。

 

これ!というイメージはある。

Taroが降りてきやすいような玄関とアトリエ。和洋折衷。

 

私は、このツールを、お客様がどんなふうに使えるかということを、日々考えてきたが、今日は、はっきりわかった。

これは、ただの占いのツールではない。そもそも、このことはわかってはいたが、それぞれの人が、自身の人生の「一部」として、すごく活かせる在り方(やり方)を発見したのだ。

これが、はっきりと言語化できなかったから、今まで、前に進まなかったのだと思う。

このまま、前に進む方が、今までならあかんかったとおもうけれど、もう、大丈夫だ。すごい、すごいですよ、Taro!

 

     

 

「今」は、これ!というものをやっていこう。

 

 

書き出す

そう、わたしは、やりたいことがはっきりしているのに、「これをしてしまわなくては!」と心で強くストップを掛けている。

はやく、このストッパーを外したい。

これが終わってから…と思っているのは、まずは、水漏れ直し。

……からの、部屋のリフォーム。

 

そして、準備の本。

上級コースのテキスト作成。

 

水漏れ直しは、見積もりをお願いしてる。

うまくいけば、このまま行きたいな。

 

リフォームローンは私が組む。

 

部屋をリフォームして整えることは、すぐにでもできる。(ので、今、まさにやっているところ)

 

はやく、一階のアトリエをお客様にきていただくルームとして、機能させたい。

 

ここまですると、あとのこと、作成系のことが楽。

 

ああ、書き出して、やっとスッキリしてきたよ。

 

 

落としていく作業

 

これから、変なことばかりを書くかもしれないけれど、先に言っておこう。

 

これでも、正気。いや、ほんと。

 

もう、それを書いていくしかないではないか。うそをつきたくない。

 

    

 

無理に、そうあろう…とするものがないって、なんという楽なことなんだろう。

そして、今まで、なんで無理していたんだろう。

 

    

 

私は、いらぬものを、その都度「落としている」。

蓄えたはずの知識、思想、特に、その都度湧いてくる想念。

 

それらを、気づいたはたから落としていく作業を、いそいそとしている。

 

すると、今、必要なことだけが起こってくる。

 

「私」は全部、知っている。

近頃、特によくある不思議な感覚なんやけど、何かに感動して、あるいは面白かったり、、でも、それをここで伝えようとして、たとえばパソコンの前に座ったとたん、書く気が一気に失せてる。

そういうときは、無理に書くことはやめる。

このごろは、そればっかりだから、何も記録しない日が続いている。(^_^;)

 

基礎講座もそう。同じこと言うのに飽きちゃってる。

今までと同じことを伝えようとすると、たちまちぐぅぅぅと重しがのったように苦痛になる。それでも、基礎講座だから「ちゃんと言わなきゃ」と気合を入れ直してしゃべろうとしても、口から胸にかけて重くなる。

 

こういうときは、いつもなら、私は何もしゃべらない(しゃべれない)けど、講座だから困ったなぁ〜『これ』を伝えなあかんのに…と悶えつつ、なにか意味がある感覚だと思えた。

 

なので、とりあえず「どっちをいおうかなぁ〜?」なんてお茶を濁しつつ、無理に定型の物語をいうのを止めて、喋りたいことを喋ってたら、本来、お伝えすべき「髄」のところに、ちゃんと繋がっていたのだ。

最初は、あまり関係のないエピソードやったんやけど。(笑)

 

それで、やっぱり確信した。

 

「私」は、全部、わかってる。

 

この「私」っていうのは、このちっちゃい脳みそだけではない。

 

ちっちゃい脳みそも含めて、「全身」「全霊」で、「全体」を把握してる。

だから、その受講生さんに受け取りやすい内容に変換して、「私」は伝えようとしているみたいなのだ。(たぶん)

 

私は、去年の今くらいに、本名でやっていたライター業は止めて、全精力を込めて京都タロットにとりかかろうと、方向転換した。

 

それまでは、ライターとしての自分と、ミケとして自分の、ふた通りの表現法があることが楽しかったけど、去年の4/11に「もう、違う」って感じたから、そのまま、いわば惰性で続けるのは、クライアントさんにも申し訳ないことだと思って、ごめんなさいをするようにした。

 

おかげで、(前にも書いたけれど)、決意がつかなかったタロットカードを、自分にできる範囲の小規模ではあるけれど、形にすることができて、講座も開いていただけて、ぼちぼちと始動した。

 

一年経った頃、久しぶりの業者さんから、ライターとしてのご依頼が入ってきた。

 

思い出していただけたこともうれしかったし、何よりも仕事内容にワクワクした。

 

今、京都タロットも正念場で(本も、上級コース教本も、翻訳用のテキストも全部進めているところ)、他のことをしている場合ではない…という現状がある。

だいたい、お断りする方針で、この1年やってきたし。

どう考えても、お断りするべき状況だ。

 

迷った。……ので、もちろんたろうさんに聞いた。笑

10枚の鳥居法で。

 

ぐるりとGOサイン。。最後に、オロチ。

(西洋タロットなら15番はデビル。危険要素よねえ〜…でも、京都タロットは、全然違う)

念押しで、なみさんにも聞いたわ。(笑)

 

……いや、最初から、わかっているではないか。

私の心は踊っていたから。笑

 

この時のオロチは、「あの手この手で、苦境を乗り切れ」

スサノオさんが、ヤマタノオロチをしとめたように、自分の持てる全てを駆使して乗り切るべし。なのだ。

 

やるべきことはてんこ盛りなんだけど、やることに決めた。

 

作業をしている最中に、たびたび口から漏れてしまう。「たっのし〜♪」(笑)

いや、やっぱり好きやん、ライターの仕事。って思った。(どないやねん?( ̄▽ ̄))

 

何かが降りてくるような感覚にときめくのだ。

 

京タロリーディングと、全然違う作業なのに、どこか同じ。

 

似て非なり…の逆。違へども似たり っちゅうか。

 

それで気がついた。

この1年は、京タロの「商品化(=物質化)」作業だったので、気合というかエネルギーを一点集中する必要があったけれど、これからは、こだわらずに行く方がいいってこと。

 

だって、ここからは、リーディングもライティングも、同じ質の作業ってことになるやん?

 

やっていることの本質は同じなのだ。

 

私は媒体に徹して、「降ろす」作業をするだけなのだ。

 

それをしている時、私は、なんともいえないような、大げさに聞こえるかもしれないけれど、無上の歓びを感じる。

 

実は、この歓び自体が、そもそもGOALなので、はっきり言ってしまえば、お金(対価)とかどうでもええくらい。

(いや、絶対いただきますけどね。( ̄▽ ̄)v)

 

ああ、こんなこと言うてたら、この世ではなくなってしまうし、浮世的にはNGで不遜な気がするから、これ以上は言うまい。

(いや、逆に浮世的にはOKかもね?…( ̄▽ ̄)?)

 

 

鳳凰サインでお越しやす。

友人M子から久しぶりのご連絡。不思議なことが重なり、京都タロットを購入するとのことで、まずは『若冲と祈りの美』を観に、細見美術館で待ち合わせ。

若冲ファンのM子の着眼点は的を射ていて面白い。同郷ということもあるのか、そもそも感性が似ているので、一点一点、いちいち腑に落ちた。

 

今回のサインは「鳳凰」。カードを開いても、空を見上げても、鳳凰のしるし。あげくにランチ後のお店の隣の屋号が「迦楼羅」。カルラって、東南アジア圏でいうガルーダのことで、つまり鳳凰と在り方が一緒。

 

美術館近くのお稲荷さんで参拝。痛みを取ってくれるという磐座が祀られていた。

ここのところなんとなーく違和感を感じていた頭頂と磐座を交互に撫ぜたら、あ〜ら摩訶不思議(笑)、痛みが取れた。

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可愛い赤いきつねちゃんと磐座。

M子に家に来てもらって、夕方までしゃべりまくる。

 

6月の基礎講座。

東京出張のときからご予約くださっていたS子さん。

「細腕一つで…」という形容詞の似合う、スピード感のあるパワフルさで、感性の開けた方なので、どんな話でも、ひかかりなく進められました。

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お嬢さんは可愛すぎるので、お顔隠します。笑

プレアデスという意識体と地上へのギフト

今から書くことは、眉に唾をつけながら、仮説か、あるいは、宇宙の一つの側面であると思って聞いてほしい。
まちがっても、これを絶対だとして、他は間違っている…などという誤謬に陥らないでほしい。
そのような達観と客観的な視野から読むことによって、あなたの意識の深化にとって、必要なエッセンスを汲み取っていただけたら嬉しい。

 

 

直接的に、「あること」に気づいたきっかけは、おそらく「宇宙クリーム」を作ったことだと思う。

宇宙クリームというのは、しのぴ先生*1考案のクリームのことで、先生の厳選した素材を、個々人が混ぜ合わせてゆくというもの。

 

化粧水やクリームを手作りする人もいらっしゃると思うが(私もかつては作っていた)、しのぴ先生が編み出した配合というのは、実に絶妙であった。

 

また、それだけでなく、その時居合わせた人すべてが奏でるハーモニーだから、何かが、あるいは、だれかが違っていても、ぜんぜん違ったものになったのではないだろうか。

 

私が参加した理由というか、モチベーションというか、心惹かれたのが、企画がさよちゃんで(←腰抜かすくらい直感型(笑)。今まで出会った人の中で一番かも)、同時になみさん(←めったに人を誘わない人(笑笑))からも誘われたから、ふら〜っと行っただけ。

 

(同じものでもタイミングが違えば、結果がまるっきり変わるので、私も、よほど心惹かれるものだけしか参加しないのだ。無理はしないのが信条。その方がおもろいよ)

最後に「宇宙瞑想」なるものを、先生が誘導してくれるのだが、そのとき、私は宇宙の何かを見たということではなく、このクリーム作り自体が、偶然なく、私が経験すべきことであったということに気づいた。

 

そして、ある意味、決定的だったのは、先生から、プレアデス人、アークトゥルス人、シリウス人…etc…の特徴を教えてもらったことなどが、私の中で、パズルのピースがパツパツとハマるような奇妙な一致感をもたらしてくれて、私は、自分の本質的な素性について、確信するようになったのである。(2日ほど経ってから)

 

とはいえ、これは、まだまだゲームクリアではなく、一つのエポックの終焉にすぎない。それでも、私にとって、ここから新しい「時代」に突入することはわかる。

 

「あること」というのは、現時点では、もうトンデモとしかいえないようなことで(笑)、正直言って、ここに書くことは憚られる。下手な誤解をうむことも本意ではない。

 

ただ、ここから話さずにして、伝えたい本質には手は届かない。

 

なので、先に言っておきます。ここからのヘンチクリンな話の設定については、信じる必要はない。こちらを重視すると、まじで迷妄に陥る。はい。

 

私が伝えたいのは、この後の話から、万象のつながり合いを感じてもらうこと。

 

そういう意味で、設定なんて何でもいいのだが、私が「そう感じてしまったこと」ということで、このトンデモ話を、続きとして書くことにする。

 

 

さんざんトンデモとは書いているが、個人的には、さほどトンデモではなく、読者さんの中にも、まったく違和感なく読める人もいれば、中には拒否反応を起こす人もいるかもしれないとも思う。

 

かつて、18世紀の神秘思想家のスウェーデンボリにして、この類の話は、のちの研究者の間でも「躓(つまず)きの石」と言われたらしい。

 

でも、今は21世紀。もはや気にするほどのことではないのだろう。(躊躇しているワタシの方が、イマドキ古風(笑)なのかもしれない…)

 

さんざん、前置きしたが、もう書いてしまおう。

 

私は、プレアデス星から来たことを思い出した。(むむむ…)


いや、本当は前々から知っていたが、妙な遠慮ごころがあって話せなかった。そうやって遠慮しているうちに、十数年経ち、なんとなく忘れていた。

 

ところが、これを思い出すために、この1ヶ月くらい、続けざまに摩訶不思議な導きがあり、さまざまな人が関わってくれているが、流れがややこしすぎて、どこから書いていいのかわからない。(明日の基礎講座では話すつもり)

 

とにかく、これを思い出して、私は、ただ、自らの感覚を信じるだけだとわかった。
自らの感覚こそが、地上へのギフトなのだとわかった。

 

これは、わたしのこと、ばかりではない。ひとりひとりがそうなのだ。

 

私は、今後、自分の感覚を100%信じていくつもりなので、今後は驚くほど、奇想天外で自由すぎる内容になりえる。

 

なので、やっぱり、トンデモ系である。(笑)

(こういう話が苦手な人は、あえて見ないでね。)

 

まあ、たいていのタロット創始者など「トンデモ」には違いないので、その筋では(なんの筋?!笑)、逆説的に「マトモ」になったとも言えるかもしれない。

 

このことは、この前書いた超明晰夢↓と繋がっていて、あの感覚のことを、私なりに把握したいと思っていたから。

 

 

そのクリームの中に、ある貴石のパウダーを入れてかき混ぜていた時に、私は、上記の夢で見た「宇宙空間で隕石の粉が顔に降りかかった」感覚を思い出して、内心めちゃくちゃ興奮していた。

 

そして、先に書いた先生のレクチャーがあって、とっちらかっていたパズルのピースが、ピタリとはまった。

 

そして、この夢には、他のことも複雑に絡み合っていて、ひとことでは話せない。

なので、ここから先は、やたら長くなるので、今はとりあえずは割愛。

ただ、伏線回収自体は、ほぼ終わっているので、今後ゆっくりお話したい。

(まあ、それ自体が重要ではないのだけれど、物語として出来ているので)

 

なので、今は、受け取った感覚だけお話する。

 

は〜、ここまで書いても、まだ躊躇があるわ…。トンデモすぎる…。

 

信じるというより「ミケさんは、そんなふうに感じたのね」というところで、面白がっていただければ幸い。(何回も書いてるけど…;)

 

 

プレアデス星から来た、というのは10年前に地球に宇宙船でやってきたという意味ではない。(笑)


プレアデス星団のどこかに、地球と同じような地上世界があるのかってことも、もちろん「ほ?ん?ま?か?い?な?」である。

 

ただ、地球からは、そんなふうに見えるエネルギー体のようなものの名称のひとつというくらいの感覚である。

 

もともと、だれから教えられたわけでもない昔から、星間移動のような感覚は明晰夢でよくあって、そこから、うすぼんやりと捉えていたことがあったのを、今回しのぴ先生が、星の人々について体系化されたものをお話している時に、あれ?あれれ?という感覚になって、(私の中では)わかってしまったのだ。

 

ひょっとすると、文字どおりの「宇宙人」ではないのかもしれない。今の段階では、不確定要素なので、とりあえず「プレアデス意識体」とでもしておきたい。

 

地球のように、大地と太陽のエネルギーが育む明らかな生命体を持つ星は、あまりたくさんはないのだろう。


私たちは、この星を希(こいねが)い、ここで「思い」を目に見える形にしたくて、地球人となった。

 

この星に、私(たち)は、プレアデスの持つエネルギーを取り入れようとしている。(もちろん、他にも、シリウスとかオリオンとか…さまざまにあるみたい)

 

物質次元は「重い」ので、私たちの思考や感情も重くなりがち。


なので、次元の薄い?彼らの意識体の感覚を取り入れることで、地上という場に形作られるものに、軽やかさを持ち込んで、地球という星を助けようという壮大な計画があるように感じるが、実際、一人一人のやることは、何も難しいことはない。

 

先ほども書いたけれど、他者ではなく、自分の感覚を信じること

 

プレアデス人としてのギフトは、自らの感覚にもたらされるから、その通りに、地上で生きるだけなのだ。

 

自らの感覚こそが、地上へのギフト。

 

その感覚で「地上で遊ぶ」とき、役割は果たされる。

 

本当なら、これは、地球の引力?が強すぎて難しい。しかし、難しいゆえにチャレンジングで、面白く感じるのだ。

 

宇宙の人々のことは、とりあえずは、ここまで。

 

 

ここからは、宇宙の人々と、女神や、この地上のシンボル的な事象との繋がりを話したい。まさに、ここからが京都タロットの新領域だと、私は感じている。

 

夢と星人と女神の繋がりについて、深〜いところまで、今回の基礎講座ではお話したいと思う。(おーい、これが基礎なんかーい?!)

 

もう、めっちゃめちゃえらいこっちゃでありまして、
そりゃ、ハレーション起こして熱も出るわさ。( ̄▽ ̄)

 

*1:しのぴ先生のFacebook=Yumi Shinoki | Facebook

宇宙空間に漂った後、湖底に気持ちよく急降下する夢

1ヶ月ほど前にある明晰夢を見た。

思えば、この夢が、今回の一連のことの起点であるかもしれない。

これは、超明晰夢や霊夢と名付けてもいいようなもので、4、5日続けて見ることもあれば、半年ほど見ないこともある。

今回は、数ヶ月ぶりだった。

横たわりながら宇宙空間に漂っている。すぐに、これが夢の中であると気づく(=明晰夢)。

とたんに、宇宙空間は、ますますリアルに、鮮やかになってくる。

すぐ隣に人がいて、私を抱きかかえるように手を繋ぎ、寄り添っている。(←これは、私の超明晰夢時の定番)

私は、小さな恐怖でドキッとして、でも恐れるものではないのがわかっているので(怖がっててごめんなさい)と呟く。

その男性が、(隕石が降ってきますよ)と耳元で教えてくれたので、目の前を見ると、パウダー状になった星屑が降ってくる。顔に当たる感覚が生々しく気持ちいい。

その後、一気に急降下して地球に入り、さらに急降下して、海?湖?に潜り込む。ブクブクブク……と水中の感覚がなんともリアルだが、夢の幻想世界ではおぼれることもなく、魚になったような気分。エイかヒラメのように、ひたひたと水の中の土に潜り込む感覚。砂つぶが、マッサージされているように優しく体を覆う。

mi-ke's YUMELOG

このあとすぐに布団に横になる自分と繋がる。

感覚も記憶もリアルな超明晰夢。夢の意味というより、宇宙的な愉楽夢。ただただ気持ちよく楽しい。

ただし、この夢こそが、ある「思い出し」の起点夢で、その後の流れを全て繋ぐ要であることを、この半月で理解することになった。

 

 

半月くらい日誌を書かなかった。

何にもなかったのではなくて、ありすぎて書いている時がないのと、いろいろあったので、自分の頭がまとまっていなかった。

私の中で、どのくらい情報をオープンにすべきなのかどうかの迷いがある。此の期に及んでも、私は「いい人」でいたいのだろうか。(笑)

タロットなどを十数年掛りで作ったなんて、どう考えても「変な人」に違いなく、考えてみれば、そもそもタロティストなんて、昔から異端者なのだ。異端だからこそ、胸を張れる領域があり、そこが棲み家であるのに、私は、何を恐れているのだろう。

 

できるだけオープンでいる。

しかし、情報開示について冷静さは必要。なんでもかんでもwebページにあげることは、特段良いとも思わない。

読みたい人だけが読んでもらえる場が作れればいいと思う。

発熱へんげ

基礎講座三日前にして、私は風邪をひいて、高熱にうなされていた。

夏のインフル?と疑ってしまうくらいの倦怠感と頭痛。

人前で話せる状況ではないようなガラガラ声。

一瞬、延期ということも脳裏をかすめたけれど、ここ一連のことを振り返ると、たぶん、このあと劇的に治って、それでいいような気がして、このままにした。

 

果たして…

私は、治癒した。(鼻水でるけど……(^_^;))

昨夜の倦怠感は著しく、「しんどい」としか言葉が出なかった。

夜中、うなされて目がさめた。

目覚める刹那に、「地獄の沙汰ぞ」という声を聞いて、

黒い裃(かみしも)を着たお侍さんを上から見ていた。

その瞬間、この倦怠感の「主な理由」をはっきりと認識できた。

倦怠感は、この現実的には「風邪」という名前を付けられることが多いと思う。そして、それはもちろん、正解。

なので、風邪を治癒する療法というものも、もちのろん、必要。

 

私のいう「主な理由」というのは、実にわけがわからん。わけはわからんが、そうなっているようなので、シェアしたいと思う。

 

その瞬間に、私が「見た(感じた)」ストーリー。

夢の中の「私」は、職人(か使用人)で、たぶん男で、どこかのお屋敷を作る仕事に携わっていた。私は、何かを(=何かはわからないけれど)柱に施した。もちろん善意でだった。

しかし、そこの殿様(か使用人のリーダー)から誤解をされてしまって、怒らせてしまった。その時のセリフが「地獄の沙汰ぞ」。

大汗をかいて目覚めて、倦怠感と熱で節々に痛みを感じつつも、私は、もう楽しくて「おもろいわ〜、ほんまおもろいわ〜」とつぶやいていた。

これは、ただの私の夢のストーリーである。過去生の物語という人もいるかもしれない。

そんなことは、どっちでもいい。なんでもいい。そういうことを解明したいのではないから。

とにかく、私の中に、そういう物語が潜んでいて、私は「発熱」という事象を通じて、物語をリアルに思い浮かばせた。そして、その誤解をされた「彼」の不可思議な心情を知った。

それは、ひとことでいうなら「哀しき諦観」なのだけれど、なぜか彼のこころの中に、可笑しな「愉快さ」が含まれていたのを感じ取っていた。

「これは、まだだれも理解できないものな」

彼は、その時は、彼の信念?に従って、それを施したが、その世においては、真逆の「地獄の沙汰」と捉えられてしまったからだ。誤解されたことを、彼は、悲しくも、悔しくも、一方で、面白くも、感じていることを、私はただ見ていた。

彼が柱に施したものは、どんなものだったか夢ではわからなかったが、職人である彼の感情は、今の私に通じるものがあって、その物語が、私の中にできあがった、あるいは流れ込んできたのだろうか。

私が、熱に浮かされながらも「おもろい〜おもろいわ〜」と言っていたのは、現実の発熱とメルヘンの繋がりを発見した喜びと同時に、彼の心情を理解した「私」に対する、夢の中の彼の喜びとの、合い混じるものだ。

私は、階下に降り、汗まみれのパジャマを着替え、お茶を飲んだ。

まだ節々は痛かったが、この夢の意味を問おうと、たろうさんに聞いた。

 

鏡の六   鏡の彦   鏡の弐(R)

すべて「鏡」。上記の話は夢見の次元のことだが、それを「現実的」に応用して、現実次元に変容させることを告げていた。

サポートをして、サポートをされる。

今の、私が、忙しくあるのは、当たり前のことなのだ。

 

あり方が、ガラリと変わる。

そのきっかけとなる、京タロ基礎講座にしたいと思った。

マーメイド三昧

東京でお知り合いになったマーメイドさん(仮名)とランチ。京都タロットをご購入くださって、お渡しも兼ねて。ランチ後は、近くスタバに移動して、子供のことやら、仕事のことやら、同世代ということもあって共通する部分も多くて、いろいろとお話した。

 

マーメイドさんは、マーメイドカードの占い師さん。占いっこじゃないけれど、この前のお礼とのことで、美しいカードで占っていただく。やっぱり「今」のテーマが出てくる。オラクルっておもしろい。

マーメイドカードを扱っておられるだけあって「水」系の人で、ふと見上げれば、スタバのマーメイドモチーフのあまりにも知れ渡っているロゴマーク。シ・ン・ク・ロ。

 

私は、コーヒーを運んですぐにコーヒーをこぼすという失敗ぶりだったけど、水系あるあるで(ほんまかいな?!)、許していただこう。

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マーメイドロゴの前で、マーメイド占いをしてもらったよ〜☺️

 

マーメイドさんと別れた後は、ネイリストの友人宅サロンへ急ぐ。今月は、深めのグリーンにシルバーの一文字のパーツ。おとなしめだけどかっこいい。

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